何かを渡せたかは、わからない
何を渡したかったのか、まだ言葉にできない
二週間の企画が、終わった。
7月25日、土曜日。その日の夜、スレッドに挨拶を書いた。
一人ひとりには、その人と交わした二週間を、その人ぶんだけ書いて送った。
それが、私にとっての区切りだった。
でも、区切ったのは、私だけだったのかもしれない。
私にとっては終わった二週間が、だれかにとっては、始まったばかりだったんじゃないか、と思う。
私は二週間、そこにいた
やったことを、書き出してみる。
企画を出した。
ガイドを二つ作った。
最初は基本編、Geminiに触れたことのない人が、はじめての一作を出すまでの手順。
次に画像生成編、Week2のお題として、少しだけ踏み込むための道筋。
購読者チャットに部屋を開けた。
参加してくれた人には、一人ずつ個別チャットも立てた。
聞かれたら、返した。
詰まったら、投げ方を渡した。
うまくいかなくて、一緒に手が止まったこともある。
そういうことを、二週間、続けていた。
それだけだ。それを”やった”とは言える。
一週間経った頃、途中経過を書いた。
あの時、私は「聞ける場所にいる、というのは、答えを持っていることじゃない。開けたまま、そこに居続けることだった」と書いた。
その続きを、今日、書きたい。
動きは、あった
二週間の中で、たしかに動きがあった。
事実として、並べておく。
見てるだけでいいと思って参加してくれていた人が、途中から、自分でも作りはじめた。
Week2で画像生成のお題を出したら、参加者から作品が返ってきた。
6人が、新しくMintorに登録してくれた。
まだ作品は並んでいない。
でも、名前だけは、そこにある。
スレッドの中では、質問や作品の共有が、行き交っていた。
「できた」「動いた」「ここで詰まった」——そういう短い言葉が、二週間、絶えず飛んでいた。
そして、企画が終わってからも、しばらくの間、動きは私のところに届いていた。
新しい機能を足していたり、UIを微調整していたり。
本人から「こう変えてみた」と報告が来た。
“作れたら終わり”じゃなかった。
作った人は、そのあと、自分のものとして触っていた。
私が言ったわけでも、お題を出したわけでもない。
いま、私に届く報告は、少なくなっている。
それが、参加者の手が止まったからなのか、私が声をかけていないから届かないだけなのか、それも私にはわからない。
個別に、自分で別のツールを触っている人もいる、と聞いている。
相談があれば、一緒にやる。
でも、一人でやる人もいる。
それでいい。
これも、事実だ。
ゴールには、辿り着いていた
告知に、こう書いた。
「ゴールはひとつ。自分の考えたものが、画面の中で動く。その最初の感動を、味わうこと」。
そのゴールに、大半の人が、辿り着いていた。
私が見えた範囲では、そうだった。
形は違っても、”頭の中にあったものが画面の中で動く”瞬間は、たしかにあった。
「できた」「動いた」の言葉も、届いていた。
告知で立てたゴールは、達成された。それは、事実として書ける。
でも、私が”何か”を渡せたかは、わからない
ここが、私にはずっと引っかかっていた。
動きはあった。それは書ける。
でも、その動きが”私が何かを渡したから起きた”と言い切ることは、私にはできない。
見てるだけだった人が動いたのは、本人が動きたかったからかもしれない。
他の参加者の背中を見たからかもしれない。
私が何をしたかとは、関係ないのかもしれない。
そもそも、私が渡したかったものが何なのか、はっきり書ける言葉を、私は持っていない。
投げ方は渡した。
ガイドも渡した。
詰まった時のヒントも渡した。
でも、そういう具体を全部書き並べても、私が”本当は何を渡したかったのか”の答えには、ならない。
何かを受け取ったと感じるのは、受け取った側だ。
だから、”何を”渡したかを、私が言い切ることはできない。
渡したかどうか以前に、”何を”の目的語が、私の中で、まだ空白なままだ。
私にできたのは、場所を用意することだけ
だから、私がやったのは、場所を用意することだけだった。
企画を出して、ガイドを作って、部屋を開けた。
個別のチャットも立てた。
詰まった時に、聞かれたら返した。
それが、私が用意した”場所”のカタチだった。
その場所の中で何が起きたかは、私が起こしたことじゃない。
参加してくれた人が、その場所を使って、動いた。
因果を書かずに、事実だけ書く。
それが、たぶん、私にとって誠実なやり方だった。
でも、もらったものは、たくさんあった
一方で、私が”もらった”側については、私の言葉で書ける。
私が渡したものは、目的語すら不確かなのに、私が受け取ったものは、はっきり名前がついている。
この非対称が、二週間で一番よくわかったことかもしれない。
一つは、“できなくて悔しい”という感情だ。
詰まって、思い通りにいかなくて、それでも次の日にはまた触っていた人がいた。
諦めじゃなくて、悔しがっていた。
あの温度は、私が開発を始めた原点でもある。
私は、”できないことをできないままにしておきたくない”と思って、開発を始めた。
でも、二週間見ていて思った。できないままでも、それは悪いことじゃない。
悔しがれる人は、悔しがればいい。
そうじゃない人もいる。ただそれだけ。
私の”原点”を、少しだけ、更新してもらった。
もう一つは、動きのスピードと、熱量が冷める瞬間だった。
提案を投げたら、次の日にはもう試している人がいた。
逆に、走っていた熱量がふっと冷める瞬間もあった。
この二週間は、少し長かったのかもしれない、と、いま思っている。
冷めることはしょうがないけれど、環境の作り方で防げた部分もあったかもしれない。
次にやるなら、と考える材料を、私はもらった。
そして、これが一番、書いておきたい。
「やってみたい」と手を挙げてくれたこと。それだけで、もう、すごいと思う。
結局作らなかった人も、途中で止まった人もいた。
それを”動かなかった”とは、私は言わない。
”やろうと思った”の一歩は、動きの外側で起きている、大きな一歩だ。
手を挙げるまでに、その人の中でどれだけのことが起きていたか、私にはわからない。
でも、その一歩を、私は見せてもらった。
そして、“やってみたい”の理由として、私のことを書いてくれた人がいた。
「様子見でもいいって言ってくれたから」
「大失敗でも笑って許してくれるだろうから」
——私が”何か”を渡したかどうかは、いまでもわからない。
でも、私を理由に一歩を踏み出してくれた人がいた、という事実は、私に届いていた。
それが、嬉しかった。そう素直に書ける。
私が渡した”何か”はわからないままだけど、もらったものだけは、たしかにあった。
スレッドは、まだ開けたままにしてある
二週間が終わったから、部屋を閉める、ということはしなかった。
「続きをやってみたら動いた」の報告が、いつ来てもいい。
「今日、思い出して、作りはじめた」でもいい。
急がなくていい。
終わった、とも、続く、とも、はっきりとは決めていない。
ただ、開けたままにしてある。
次のこと
正直に書くと、次のことも、少し考えている。
季節ごとに、こういう時間をまた作ってみたい、と思っている。
次は、コードを書いてデプロイまで挑戦できるような、少しステップアップした企画も、まだ妄想の中にはある。
決まっていることじゃない。
でも、続けてみたい気持ちは、ある。
次があるとしたら、その時はまた、改めて告知を書く。
そこにいてくれて、ありがとう
参加してくれた人にも、見ていてくれた人にも、そこにいてくれた全員に、伝えたいことがある。
「そこにいてくれて、ありがとう。」
私が渡した”何か”は、うまく言葉にできない。
でも、私が受け取ったものは、あなたたちから来たものだ。
二週間、同じ場所に、あなたがいた。
手を動かしていた人からも、動かなかった人からも、私は、たしかに何かを受け取っていた。
それは、目的語のある、はっきりしたものだった。
作ったものが、誰かの隣に並ぶ日が来たらいいな、と、Week1の終わりに書いた。
その日は、もう、始まっているのかもしれない。
私は、それを見ている。急がない。
Mintor|個人開発の作品置き場
読んでくださって、ありがとうございます。
あなたの夏の記憶の隅に、この二週間の空気が、少しだけ残ってくれたら嬉しいです。
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かなえ✨素敵な企画ありがとう😊
参加して、中々思い通りに行かなかったけど、一つアプリが完成してめちゃくちゃ嬉しかったよ♪
これをきっかけに色々と挑戦しようと思うよ🙌
かなっぺせんせー!ありがとうございました!
2週間あっという間
不安の払拭とキッカケ、そこにいてくれる事の安心感諸々たくさーんもらいましたヽ(´▽`)/
ものすごくありがとう✨
楽しかったし今も楽しい٩(^‿^)۶
そして、相変わらずチャットにつぶやいて
甘えております。
不出来な弟子をこれからもよろしくお願いします